西部湯瓜
SUN IS UFO
*西暦2018年、平成30年、皇紀2678年7月現在
▼ "SUN IS UFO" と名付けたこのサイトは、西部湯瓜のウェブサイトです。
▼西部湯瓜は、「せいぶ・ゆうり」と読みます。
▼古代より信仰の対象だった太陽。夕暮れの定めに逆らえず地平線の彼方へ没しても、必ず甦り、ふたたび東の空を照らし始める姿に、人々は不死と復活のイメージを抱き、崇めてきました。
宗教が没落し、科学が神となった現代であっても、人間は太陽の存在を欠いて生きることはできません。太陽が無ければ、人間は凍え死にます。つまり、太陽は人間の生命そのものです。ですから、今、ぼくたちの生命があるということ。それは、太陽の、存在の証明でもあります。
しかし、太陽は人類を殺す存在であることも忘れるわけにはいきません。科学者の話によれば、数十億年後に地球は太陽に飲み込まれ、消えてしまいます。むろん、人類は絶滅します。
ぼくたちの殺生与奪を決する太陽は、人類にとっての最重要物だということに、もはや疑いの余地はありません。ところが、来る日も来る日も大空を飛翔する太陽に、直接手を触れた者はひとりも存在しないのです。人類史上、ただのひとりも。太陽は未確認飛行物体です。#SUN IS UFO side-A
▼ぼくは、物書きです。小説を中心としていますが、それ以外に詩やエッセイ、歌詞なども書きます。漫画の脚本を書いたり、アートワークを作ったりもします。これらはすべてウェブにアップしており、Galleryよりご覧いただけます。
▼動画も作ります。YouTubeよりご覧いただけます。
▼小学生だった頃、図書室で借りたオカルト本をきっかけにUFO探しに嵌まったことがありました。「宇宙人はときどき地球にやってきている。しかも、しかるべき手順を踏んで、空にテレパシーを送れば、宇宙人がUFOに乗って君に会いにきてくれるぞ」というような煽りを真に受けたのです。その本の出版社は、忘れもしません、小学館でした。子どもながらに情報源から信憑性を探ろうとしたのでしょう。小学館という名前なら、きっと小学生を対象にしている出版社なんだろう。公共性がある風だし、子ども騙しの嘘は書いたりしないだろう。そう思い、信じ、騙されました。
遅刻王だったぼくが、毎朝、誰よりも早く学校に行き、奇妙な動きを取りながら空を見つめていたので、当然のこと、担任の先生から問い質される羽目になります。今思えば、「そんなの嘘っぱちだぞ」と真実を明かされたり、馬鹿にされたりしそうなものですが、おそらく、じきに飽きると踏んだのでしょう。放っておいてくれました。先生には感謝しています。
UFOは、いっこうに姿を見せません。それでも僕は冬空の下、CDを両手に持って、キラキラ光る盤面を空に向けて振り回し、「応答せよ、応答せよ」と唱え続けました。たしか一週間くらい。
言いたいことは、何か。要するに、ぼくの制作活動の理想形は、UFOを呼べると信じて、空に祈りを捧げていた馬鹿な少年だということです。デタラメを盲信し、突き進むあの頃の自分は、今と違って輝いていました。
ぼくは早起きが大の苦手です。今では、どんなに素晴らしい、まっさらなアイデアが降ってきたとしても、寒い朝、早起きして小説を書くことはできないでしょう。UFOは、ぼくの太陽です。#SUN IS UFO side-B
*プロフィールの番外編「選ぶとしたら」
▽地球上の動物から、ただ一種類だけを選ぶとしたら
犬(#犬派です。猫より犬が好き)
▽弟の写真を、ただ一枚だけ選ぶとしたら
▽あらゆるスポーツの中から、ただ一つだけを選ぶとしたら
サッカー(#TV観戦も、ゲームで遊ぶのも、自分でやるのも全部好き。当時のポジションはボランチがメイン、たまにサイドバック)
▽世界中のボードゲームの中から、ただ一作だけを選ぶとしたら
ラブレター(#小学生の頃を振り返れば、一番楽しかった記憶は、休み時間に遊んだトランプの「大富豪」、面子バトル、将棋、チェス、親指ゲーム、ドッジボール。つまり、対戦ゲーム。修学旅行では遥々遠出したのに、結局、ホテルの部屋で大富豪やUNOをした時間が至福だった。これは多くの男子にあてはまる現象と思う。対戦ゲームの魅力から、男は死ぬまで逃れられない)
▽創作に生きると決めたきっかけを、ただ一つだけ選ぶとしたら
ギタリスト・Hisaとの再会
▽『MASTERキートン』の全エピソードから、ただ一話だけを選ぶとしたら
「屋根の下の巴里」(#学問とは何か?大学とは何か?人生とは何か?それらの答えをここに見ました)